向こう隣のラブキッズ


第8話 夏の帽子と潰れたおまんじゅう


春の日がきらきらと水面を照らしていた。そこは海に面した公園できれいなバラがたくさん咲いていた。
「どうしよう……。いよいよ明日になっちゃった」
姫乃は欄干に手を置いて海を見ていた。水平線の向こうではカモメも空を飛んでいる。明日は宮坂高校の入学式で、姫乃の本が発売される日でもあった。
(ぼくにとってはどっちもうれしい事だけど……)

――姫乃お兄ちゃんの本が発売になったら、真っ先に読むからね

しおりの笑顔が胸を過ぎる。
「でも……。あの本を読んだら、しおりちゃんはきっと僕の事ものすごくエッチな奴って思っちゃうんじゃないかしら。もしかして、もう口を利いてくれなくなっちゃうかもしれない。もし、そんな事になったら僕、どうしよう)
本にするための修正をと編集者に言われ、ベッドでの絡みのシーンをかなり加筆してしまった事を、今更ながら後悔した。
「ああ、僕は何て馬鹿だったんだろう。いつも応援してくれているしおりちゃんの気持ちも考えず、自分の夢を叶える事だけに夢中になってたんだ」
そう思うと、姫乃は絶望的になり、涙を流さずにはいられなかった。

そんな姫乃の事を遠くから見ていた者がいた。雑誌のスナップを撮影するために、たまたまこの公園に来ていた歩こと、YUMIだった。
「ハイ! YUMIちゃん、こっち向いて! 笑って!」
少女雑誌のグラビア特集のテーマが公園だったので、幾つかのスポットを回っていたのだ。YUMIは様々なポーズをさせられた。
(何だか信じられないな。おれが女の子の格好をして、テレビに出たり、雑誌に載ったりしてるなんて……)

この1ヶ月の間に、YUMIはすっかり人気者になっていた。ファッション誌や少女服のカタログなどにモデルとして写真が載り、たまたま子役を探していたテレビ番組ディレクターの目に留まった。

――YUMIちゃんか。実にいいねえ。君、うちの番組に出てみないか?

そこからとんとん拍子に仕事が決まって行ったのだ。初めはクイズの問題をVTRで出題する子役として。それから、バラエティー番組に不定期で呼ばれるようになり、仕事はどんどん増えて行った。

――いいわね、歩くん。この頃ではメイクもすっかり板について来たし、仕草もかわいくなって来てるよ

さくらも褒めてくれた。内心は複雑な気持ちだったが、大好きなさくらのためならがんばれた。

「じゃあ、YUMIちゃん、今度は海の近くに行ってみようか」
カメラマンが言った。
「はい」
歩は返事をすると海の方を見た。そこに姫乃がぼんやりと海を見つめて立っている事に気付いたのだ。姫乃は背中を向けて俯いていた。
(姫乃の奴、何やってるんだろ。また誰かにいじめられて泣いてんのかな? それとも、高校に行くのが不安でブルーな気分になってるとか……)
その時、欄干から身を乗り出していた姫乃の身体がゆらりと揺れて、海に引き込まれるように落ちそうになった。

「危ない!」
歩は猛ダッシュすると姫乃の手をつかんだ。そして、噴き上げる風と共にその身体を欄干のこちら側に引っ張り上げた。その様子の一部始終をカメラが撮っていた。
「わあん。驚いた」
姫乃は歩にしがみ付いて泣き出した。

「大丈夫?」
歩が訊いた。
「うん。でも、すっごく怖かった。ほんとに落ちるかと思っちゃった。僕、海の底にきれいなヒトデが見えたから、覗いてたんだ。そしたら急に目眩がして……きっと寝不足なんだと思うの。昨夜もずっと出版社の人に頼まれて原稿書いてたから……」
「そっか。なら、早く家に帰って寝た方がいいよ。おまえに何かあったら、しおりが泣いちゃうだろ?」
歩がほっとして言う。
「うん。そうだね。そうするよ。でも、君はどうしてしおりちゃんの事知ってるの?」
歩ははっとして人差し指を唇にあてた。

「YUMIちゃん、大丈夫?」
カメラマンが来て訊いた。
「はい」
YUMIが困ったように返事する。まだ姫乃が抱きついたままだったからだ。
「すごいや。人目も憚らず人命救助するなんて……。ところで、それってYUMIちゃんの彼氏?」
後から来たスタッフも言う。

「彼氏だなんて……。ちょっとした知り合いなんです。えっと、幼なじみみたいな……」
言われた姫乃はぽかんとしていたが、カメラマンが撮ろうとするのでそろそろとYUMIから離れて後ろに隠れた。
「へえ。そうなんだ」
「それにしても、YUMIちゃん、力持ちだねえ。その人、持ち上げたの?」
大人達が口々に言う。
「え? いやだ。YUMIにそんな力あるはずないでしょう? この人が自分で上がって来たんです。ほら、ここの欄干に手を掛けて……。それに下からすごい風が吹き上げたから、持ち上げられたように見えたんじゃないかな?」
YUMIが軽く肩をすぼめて首を傾げる。

「お。いいね。そのポーズ」
カメラマンがすかさずシャッターを切る。少し離れた所ではさくらが微笑し、手招いている。YUMIはすぐにそっちに向かって駆け出した。

「それにしても君、ラッキーだったね。ここの欄干低いから、あまり身を乗り出したら危ないよ」
スタッフの人が姫乃の肩を叩く。
「あ、はい。そうですね。気をつけます。ここで撮影してるって事はもしかして彼女は芸能人なんですか?」
姫乃が訊いた。
「ああ。今、人気急上昇中のアイドル。YUMIちゃんだよ。君は幼馴染みなんだって? それならぜひ応援してね」
そう言うとその男は先に行ってしまったYUMI達を追い掛けて行った。

「YUMIちゃん、人命救助してどうだった?」
そのスタッフが訊く。
「どうって、夢中だったのでよくわかりません。でも、無事で良かったと思います。ほんと、びっくりしちゃった」
「そうだよね。まさか安全なはずの公園であんな事があるなんて思わないものね。このハプニングの事も記事にしていいかな?」
「え? でも、あまりオーバーにしないでね。迷惑掛かったら悪いし……」
「へえ。YUMIちゃんはやさしいんだね」
そう言ってスタッフ達が盛り立てる。歩は複雑な気分だった。そこに鏡はなかったが、地面にはつばの広い帽子をかぶった女の子の影がやわらかい仕草でポーズしている。
(ここに映ってる影は誰? お菓子作りが好きでピアノを弾くのが好き! プロフィール欄に書かれてた。おれの知らない女の子……)


その頃、しおりは貯金箱の中のお金を数えていた。
「百円玉が6個で、50円が7個……。それと10円玉がえーと……25個!」
しおりの顔が暗くなる。
「た、足りない! どうしよう? 明日はお兄ちゃんの本が発売されるのに……。あと百円……。きっと、こないだおやつとマンガ本買っちゃったせいだ。こんな事ならポテトチップスは一つだけにしとくんだった。ああ、しおりのバカ! バカ! バカ!」
そう言っててもお金が出て来る訳ではない。何とか百円手に入れる方法を考えなければならなかった。

「そうだ! 何かお手伝いしてお駄賃もらおう!」
しおりは階段を駆け下りると母親に言った。
「ねえ、何かお手伝いない? おつかいとか、洗濯物を取り込むとか、お風呂の支度とか何でもいいんだけど……」
「それは有り難いけど、今日はもう、みんな済ましちゃったし、これといってないわねえ」
母はテレビのワイドショーを見ながら言った。
「お夕飯の支度は?」
「まだ早過ぎるわよ」
「じゃあ、肩でもおもみしましょうか?」
「あらあら、どうしたの?」

「お願い! 何でもするから百円ちょうだい。明日、お兄ちゃんの本が発売するの。でも、貯金じゃ百円足りないの。ねえ、一生のお願い! わたしに百円分の労働を下さい」
しおりは手を合わせて言った。
「じゃあ、玄関前の掃き掃除をお願いしようかしら? さっき風が吹いて、少し落ち葉が散らかってたから……」
「わかった」
しおりは急いでほうきとちり取りを持って玄関を出た。

すると、そこには姫乃の同級生の三人組が話をしていた。
「これ、すっげえじゃん」
岩田がオーバーに本を掲げる。
「姫乃も大人しい顔してやるよな」
鴨井も呆れたように言う。
「こんな過激なの書いてたなんて坊やも妄想たくましいのね」
吉永が合わせた両手を頬に当てて笑う。
彼らが手にしている本の表紙にはきらきらした文字で愛川姫乃と書かれている。

「ちょっと! それってお兄ちゃんの本じゃないの? 何で? 発売日は明日でしょ?」
「へへ。発売前日に届く店があんのさ。そこで先行入手したって訳」
リーダーの岩田が得意そうに言う。
「そんなのずるーい! ちょっと見せなさいよ」
しおりが本をひったくる。
「え? ちょっとお嬢ちゃんには刺激が強いんじゃないかな?」
鴨井がわざとらしく不安な顔をする。
「そんな事ないもん」
しおりがムキになって反論する。

「いやいや、やっぱ小学生には早いでしょう」
吉永がしおりの手から本を取り上げる。
「発売したら読んで感想聞かせるって、姫乃お兄ちゃんに約束したんだから……」
「えーっ? それってヤバくねえ?」
にやにやと言う岩田。
「姫乃の奴、どうかしてんじゃねえの? 小学生の女の子にこんな過激なの読ませるなんて……」
鴨井も同意する。
「いやーね。姫乃くんのエッチ!」
吉永がそう言うと彼らは意味ありげにくすくすと笑った。

「もうっ! そんな事より教えなさいよ。その本どこで売ってたのよ?」
しおりが訊いた。
「え? 今から行っても無駄だぜ。これが最後の1冊だったんだからさ」
3人は床屋に行ったらしく髪を切ってすっきりしていた。
「最後? じゃあ、お兄ちゃんの本は人気なのね?」
「いや、もともと数が少ないんじゃないかな? 店だって売れない本置いてリスク取るのいやだろうし……」
「そうそう。最初から1冊しか置くつもりなかったんじゃないの?」
鴨井と吉永も岩田に同調するように言った。

「そんな筈ないわ! お兄ちゃんの本は大ベストセラーになるんだから……」
「馬鹿じゃねえの? 無名の新人が書いた本がそう簡単に売れっかよ」
しおりはそう言った鴨井の顔面に拳を入れると、そいつの手から本を奪った。
「じゃあ、貸しなさいよ。あんたら、もう読み終わったんでしょ?」
「何すんだよ。これから作者先生にいろいろ質問しようと思ってんのに……」
鴨井がぶたれたほっぺを押さえて言う。
「お兄ちゃんはまだ外出から帰ってないよ。だから、その間にわたしが読むんだから……」
しおりは本を放さない。3人は顔を見合わせて言った。
「そんなら、貸してもいいけど、その代わり、明日までに姫乃のサイン10枚もらっといてくれよ」
「え? お兄ちゃんってそんなに人気なの?」
岩田の言葉にしおりがぱっと顔を輝かせる。

「明日、学校で配るのさ」
「それ、お兄ちゃんも知ってるの?」
「バーカ。知ってたらサインしてくれないだろ?」
「あんたら、ろくな事考えないんだから! 明日は入学式でしょ? 先生にバレたら大変じゃない」
しおりがきつい目をして睨む。
「っていうか、そもそもこんな本書いてる事が学校にバレたら、それだけで退学処分じゃねえの? 宮坂って校則厳しいって聞いたぜ」
吉永が素知らぬ顔をして言う。
「冗談じゃないわ。学校にバラしたらただじゃ済まないかんね」

「だから、おれ達だって口止めのためにサイン配ろうってんじゃないか」
岩田が説得するように言う。
「そうそう。本買ってくれた人には、もれなく姫乃先生のサインあげちゃいますってな」
鴨井も説明する。
「それでうまく行くの?」
「ま、任せろって……」
岩田が自信満々に言う。
「そ。おれ達だって、せっかく姫乃ちゃんと同じ高校に入れたんだもん。卒業まで一緒に過ごしたいじゃん」
腫れたほっぺをさすりながら鴨井が言った。

「ま、あいつは特進クラスで、おれ達は一般クラスって違いはあるけどな」
吉永が少しだけへつらうように言う。
「でも、お兄ちゃんの事思ってくれてんのね。ありがとう」
「そうそう。おれってやさしいだろ? もっとほめて。かわいい妹よ」
すかさずアピールするが無視される。
「じゃあ、急いで読んじゃうね」
そう言うと、しおりは急いで家に入って行った。

「しおり、玄関のお掃除は?」
母親が呼ぶ。
「事情が変わったの。じゃ、今忙しいから」
そう言うと、すぐにばたんと子ども部屋のドアが閉まった。


その頃、姫乃は気を取り直し、満点屋でいつものおまんじゅうを買って店を出た。
(これ、しおりちゃんにも分けてあげよう。きっと喜んでくれると思うの。二人で食べるとおいしいから……)
そんな事を思いながら道を歩いていると、歩道を塞ぐように3人の男達が立ち話をしているのに出くわした。

「なあ、アイドルのYUMIちゃん、可愛いよな。今度一緒に満点屋のまんじゅう食いてえ」
「そうだな。俺、すっかり胸キュンしちまったよ。みそまんじゅう差し入れちゃおうかな」
「みそ? ありえないでしょう。まんじゅうなら、やっぱこしあんで決まりっす。YUMIちゃんからあーんしてもらいてえ」
3人はスーツを着ていたが柄は悪かった。姫乃はちょっと通してくれませんかと言えずにもじもじしていた。
「あれ? おまえ、姫乃じゃないか」
その場を仕切っていたボスが言った。
「そういや、おまえ本出すそうじゃないか」
みそまんじゅうを推していた奴が訊いた。

「いつ発売だって?」
こしあんだと主張していた奴も訊いた。
「明日です」
姫乃はそう答えたものの落ち着かない様子で彼らを見た。
「あの、僕の事ご存知なんですか?」
「ご存知かって? 何ふざけた事言ってんだよ。おれ達の顔を忘れたってんじゃないだろうな?」
ボスの本村が凄む。
「え? でも、僕ほんとにあなた方とお会いした記憶がないんですけど……」
「ないだと?」

「いやだなあ。いつも君ん家の前で屯してたおれ達の事忘れるなんて……」
宮下も言う。
「それともわざとなの?」
木根川が大事そうに抱えている満点屋の袋を突く。
「わざとだなんて、そんな……。あ、もしかしてというか、まさかあのいつもの3人組の皆さんなんですか? 髪型も決まってたから全然気がつきませんでした」
姫乃は満点屋の袋を奪われまいとぎゅっと抱き締めて言った。

「俺達、就活中なんだ」
本村があっさり言った。
「そうそう。今面接の帰り」
尖ってない髪型になっている宮下も言う。
「そ、そうだったんですか。受かるといいですね」
「ま、競争率高かったから難しいかもしれねえけどな」
木根川が渋い顔をする。

「あ、そういえば僕、さっき海の公園でYUMIちゃんに会いましたよ。グラビアの撮影してて……」
「マジかよ?」
本村が殺気立つように言う。
「だったら、それを先に言えよ」
宮下も慌ててそう言った。
「すみません。あまり驚いたものですから……」
姫乃が謝る前に彼らはもう公園に向けて走り始めていた。
「ダッシュすれば間に合うかも」
木根川は少しだけ名残惜しそうに満点屋の店先を覗いたが3人は急いで走って行った。


そして、夕方。いつものように姫乃がしおりの部屋の窓を叩くと、興奮した様子のしおりが出て来て言った。
「お兄ちゃん、すごいわ! 今、半分くらいまで読んだんだけど、何だか胸がじーんとしちゃった。今夜のうちに全部読むからね」
「え? 読むって、その……」
姫乃は驚いてしおりが掲げている本を見た。そこには堂々と彼の名前が書いてあった。愛川姫乃という本名が……。

「それ……。もしかして明日発売の僕の本」
「そうだよ。でも、1日早く売ってるお店があるんだって……。それで、頼み込んで早く貸してもらっちゃって。……それでね、お兄ちゃんのサインもらって欲しいって言われたんだけど……」
「そ、そんな……」
あまりの事におまんじゅうを持っていた手が震えた。
「ごめん。しおりちゃん、ちょっと待ってて」
姫乃はそう言うと急いで階段を駆け下りて行った。
「あれ? 姫乃お兄ちゃん、どうしたのかしら? おまんじゅう持ってたし、本の発売の前祝いのつもりじゃなかったの?」
不審に思いながらもしおりは一旦部屋に戻って続きを読み始めた。すると、姫乃がいつになく大きな声で電話をしているのが聞こえた。

「もしもし? クランベリー出版ですか? 吉原さんを……。はい。僕、愛川です。その、もう本が発売されてて……。それはいいんですけど、名前が……。ペンネームになると思ってたんですけど……。え? はい。姫乃は本名で……。そうなんです。でも……。変更できないって……。でも、それじゃ困るんです。僕、明日から高校に行くんですけど、学校には話してなくて……」
姫乃は焦っていた。ペンネームで応募したものなので、本にもそれが記載されると思っていたのだ。が、実際は違っていた。
「それに小学生の女の子が読んでて……。え? それは読者の判断って……。でも、僕にとっては、しおりちゃんは大切な子なんです。それでもし、僕の事嫌いになっちゃったら……。もしもし? 吉原さん? 聞いていますか? もしもし?」
通話は切れてしまっていた。受話器を握り締めたまま、姫乃は絶望的な気分になっていた。

「お兄ちゃん?」
しおりがそっと窓を叩く。

――僕にとっては、しおりちゃんは大切な子なんです

姫乃が言った言葉がしおりの胸を熱くしていた。
「しおりちゃん……。今の話、聞いてたの?」
姫乃が振り向いて言う。その頬には涙が伝っている。
「お兄ちゃん……。わたしは平気だよ。お兄ちゃんがどんなお話を書いたって……。わたしは姫乃お兄ちゃんが書くお話が好きなの。だって、お兄ちゃんは大作家の卵なんだもの。自分が書きたい物を書いたらいいんだよ。しおりに遠慮なんかしないで……」
「しおりちゃん……。ほんとに? こんな僕でもいいの?」
「もちろんだよ。お兄ちゃんはお兄ちゃんなんだもの。ね? 自信を持ってお話書いてよ」
「ほんとに? こんなエッチな話を書いてても、僕を嫌いにならない?」
「うん。読む時はちょっとドキドキしちゃうけど、大丈夫だよ。わからない言葉はちゃんと調べるし、お兄ちゃんが書きたいなら、私は止めないから……」

「ありがとう、しおりちゃん。僕だって、ほんとはそんな話が書きたい訳じゃないんだ。でも、それで小説大賞取ったから、それで、僕の書いたお話を本にしてくれると言うから、それで僕、ついうれしくて……。それに、ほんとはペンネームで出す筈だったんだ。なのに本名で出ちゃうなんて……」
「ペンネームってどんな?」
「平野平太郎」
「悪くはないけど、お兄ちゃんには似合わないよ」
「そうかな?」
「そうだよ。やっぱりお兄ちゃんには愛川姫乃って名前が一番いいと思うの」
「ありがとう、しおりちゃん。あ、そうだ。しおりちゃんと一緒に食べようと思って、今日も満点屋でおまんじゅうを買って来たんだ」
そう言うと姫乃は急いでそれを持って来てしおりに渡した。

「ありがとう」
しおりはおまんじゅうを受け取ると、かわりに花の模様のティッシュペーパーを渡した。
「ほら、涙を拭いて。それに鼻もかまないと……」
「そうだね。いつも本当にありがとう。しおりちゃんって本当に気が利くし、やさしくて……」
その先の言葉はティッシュの音に掻き消されて聞こえなかった。が、しおりにはわかった。

――だから、僕はしおりちゃんの事が好き!

きっとそう言ってくれたのだと思うと、しおりの胸は熱くドキドキが止まらなくなった。もらったおまんじゅうは少し潰れてあんこがはみ出していたが、しおりはまるで気にならなかった。